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産廃

思ったことを置く場所です

奥田民生になりたいボーイ/出会う男全て狂わせるガール

いまさらですが、知人に借りて最後まで読んだので感想を書こうと思います。

前作の「カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」は、こんな女に恨みでもあるのか?と思うにとどまったけど、今作は渋谷直角さんのもっと深い心の内を投影しているような気がします。

以下ネタバレ



物語の主人公・コーロキは35にしてまだ自己プロデュースができずに、いまひとつイケてないでいる。でも”奥田民生”という自分のルーツには絶対の自信があり、「民生みたいになる!」それだけが彼の人生の指標となっていた。

一方、物語のもう一人の主人公であるあかりはコーロキの趣味や生き方をハッキリ否定する。コーロキは自分があかりと上手くいかないのは「奥田民生になりきれてないからだ」と自責するけど、この辺りから妄信的に奥田民生を崇拝するコーロキと、いまのコーロキに必要な素養の乖離がでてきて、「ちげーよ!民生はそんなに万能じゃねーよ!」とツッコミながら読み進める。「ライブとか服が臭くなるからキライ」とまで言うあかりに奥田民生最強説は通用するはずがない。けれどコーロキはそれを受け入れない。

物語は衝撃的な展開(ある種ホラー)で幕を閉じ、コーロキは数年後別人のように生まれ変わる。
あの時手にしたかったものを全て手に入れるが、奥田民生にはなれなかったと言う。はたから見たら「民生っぽい人」にはなれているのかもしれないが、取り繕ってそれっぽく見せているだけだと。でもそうするしかやり方がなかったと。

奥田民生みたいになるんだ!」

かつての自分のまっすぐな気持ちに押しつぶされそうになりながら、それでもコーロキは東京で生きていく・・・・


いや、なんなんだこの急な現実!!!
物語の終盤で出主人公が渋谷さんを批判的に評するというメタ表現、ここで言われてることは渋谷さんがずっと現実世界で言われ続けてきたことなんだろうなと思った。主人公が編集として携わる「マレ」というライフスタイル雑誌も、たぶんアレとかアレとかアレのことだろうな・・・と。

渋谷さんはサブカル界隈で長年仕事しているけど、「ボサノヴァ〜」でその地位を確立するまで、自分の立ち位置が定まらない期間がすごく長かったように思います。
サブカルという小さいようで大きなジャンルの中の住み分け論争のなかではじかれてははじかれての屈折の日々があったんだろうなと。そんななかで、うまく自己プロデュースして自分の居場所をつくっていく者たちをたくさん見てきた。「きたねぇなアイツ、中身なんてカラッポのくせに・・・あんな風に成功するのは嫌だ・・・」などと思ったりしたのでは。

主人公・コーロキが最後はそうなったように、結局生きていくためにはそういう器用な人達に習って自分の夢や希望を殺さなきゃいけない日がくる。
ひょっとして、憧れ続けた民生も、そうだったんじゃないか?飄々とやってるなんて偶像で、水面下ではもがいてもがいて・・・飄々と見せていただけなんじゃないか?
奥田民生なんてどこにもいなかった」
それをコーロキは知ってしまった。そして青春は終わるのだ・・・

ああ、この世のなかってなんて残酷なんだろう。

本の帯に「身につまされ、面白いと口にするものだけが、これを面白いと感じる」と山内マリコのコメントが載っていた。
その通りだと思った。

身につまされてるうちはまだ私も青春の最後の残りカスのなかにいるんだろう。