30歳がくる!

息詰まったら書く

余白こそが豊かさなのか

最近、柄物を着ている人って減った気がします(意図的に流行させられる柄物を除いて)。

これを読んでいるのが男性か女性かわかりませんが、最近買い物の時に柄物を買った記憶ってありますか?
それも、白黒のチェックとか、青と白のボーダーとかじゃなくてです。

街を歩いていても、柄物を着ている人って少ない気がする。気がする気がするってさっきから曖昧ですが、本当にそんな気がする!

その代わりといっちゃあなんですが、
白の無地Tにゆるめのジーンズ、
サングラスもその昔浜崎あゆみがしてたようなヤツじゃなくて…
シンプルな顔の輪郭に収まるサイズのものをして、CA4LA帽子をかぶって……

そんな人達が多いような。

なんの主張もないようで、彼女達はおそらくファッションにものすごくこだわりがある。
無地のTシャツは、「無地なのに!?」って値段のもののはずだし、
サングラスも、最も安い人でもzoff(クラシック)を買ってるはず。

何が言いたいかというと、
なんか「なんでもないようでちゃんとしてるもの」がオシャレになってるよね。って話。

その昔、UNIQLOが登場する前のこと、

無地でシンプルでオシャレなものを買うのは一部のファッションオタク達のたしなみだった(と思う)。
バブルの頃は言わずもがな、その後も引き続き余計な柄が入っていたり、いらぬ企業ロゴがプリントされている「頑張って装飾しました!」というものこそをオシャレだとしてきました。
「なんか遊びがきいてるもの」「わかりやすくこだわってる」が最大のオシャレでした。

重ね着風のロンTとか、ベルト通すところが2連になってるジーンズとかその最たる例だと思う。

とにかく足し算がオシャレだった時代があったんですよね。

それが昨今、白の無地Tに黒のスキニーを履いた男子のことを無意識的に「オシャレ」の箱へ投げるようになるなんて不思議です。


柄やロゴは、無にプラスという意味では「豊かさ」の象徴のはず。

作家の酒井順子さんも「戦後の貧しい時代に無地はあまりにも悲しすぎたので、余計な柄が入ったものが多い」と考察しています。

それがいつしか、奇抜な柄やロゴなどは「安っぽい」となり、無地でシンプルなものこそが「センスがあって豊か」なシンボルへと変化したのですね。。


話が広がりすぎました。
戻します。

つまり世は「なんでもないようで、実は………」戦国時代。
ふと手にしたシャツの値段に驚くことが増えたのもそのせいかな。

この「なんでもないようで、実は」も突き詰めすぎると、豊かさの押し売りになって、あ、もういいです。そこまでじゃないんで…となる。

ギリギリのラインで抜け感を出すのってこれまた難しいね。