30歳がくる!

息詰まったら書く

堀北真希は魅力的な女性なのか

祝 引退。

結婚した時に書いた記事をまた載せてみる。

 

 

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堀北真希山本耕史の結婚は、その組み合わせの意外性とか、交際期間の短さとかで人々を驚かせた。

いまが一番女性として美しく、飛ぶ鳥を落とす勢いの堀北真希が、なぜあえて山本耕史を選んだのか?という視点から様々な憶測が飛び交っている。
 
真意のほどはわからないのでこれ以上何を言っても邪推だが、山本耕史というプレイボーイに「6年間片思いした」とまで言わせるほど堀北真希は果たして魅力的なのだろうか。
 
顔やスタイルは間違いなく美しい。
でも堀北真希は共演していた舞台中は山本耕史の熱いアプローチを無視し続けたにもかかわらず、公演が終わったあとに自ら電話をかけ、交際期間のないまま突然のプロポーズを受けてしまう。そんな女性である。芯があるのかないのかよくわからない。
 
 
堀北真希はそのストイックさを度々メディアでも報じられてきた。
趣味は筋トレだという。
また、自分のベッドに友人が不意に腰掛けられると無意識のうちに投げ飛ばしてしまうほどの、潔癖。
 
自分のテリトリーのなかで、他人を排除して自分を磨き続けるような人間だ。
 
これまで問題行動やゴシップもなく、清純派としての自分を守り通してきた。
そんな彼女の親友は黒木メイサだという。
事務所に黙って赤西仁と結婚してしまうような、ちょっとヤンキー気味の黒木メイサ堀北真希が親友?と違和感を覚えた。
ますます本当の彼女が見えてこない。
 
そもそも、芸能界に入ったのも熱心なスカウトによるもので彼女の意志
ではない。
だからかもしれないが、彼女からは、タレントがまとう独特の嫌な自己主張を感じない。自然と周りを惹きつけるので、主張は必要なかったのかもしれない。
 
立つはずではなかったスポットライトの下で、彼女なりに仕事として女優を受け入れ、使命を果たしてきたという感じだ。
 
堀北真希にとって、結婚とはなんだったのだろう。
 
相手が山本耕史だったのは、たまたまそこに山本耕史がいたからで、もしかしたら誰でも良かったのではないかと思う。
 
もっと慎重に相手を選ぶなら、他にベストな相手がいたはずだ。それなのに、これまで数々の女性と浮名を流した、安定した職についていない、中年のおじさんと結婚してしまった。
 
彼女は舞台中はアプローチを無視した。なぜですか?と聞いたら「仕事中に恋愛とか、考えられなくないですか?」と返されるだろう。
仕事が終わり、ただの女に戻った時に、ふと結婚したいと思い、そこに山本耕史がいた。
 
「前から結婚したいと思ってて。そしたら、プロポーズしてくれたので」なんて言いそうだ。
 
 
いま二人は同居しているというが、ウキウキの山本耕史と、相変わらず筋トレを続ける堀北真希の姿が浮かぶ。
それでも彼女は自宅ではちゃんと妻をし、子を授かれば母をして、仕事の時は女優をするだろう。
 
「芯の強い女性が好き」
 
という男は、見た目は甘いのがお好きと言っているようなものである。
山本耕史堀北真希の第一印象を「芯がある女性」と表している。
 
私は違うと思う。逆だ。
堀北真希は芯がない。
悪い意味じゃなく、あの綺麗な皮のなかはさらさらの水のように流動的で無色透明だ。
 
色に染まりやすいが、
一箇所に留まり続けない小川のような中身だと思う。
 
要はつかみどころのない女のことを「芯のある女性」と言うのかもしれない。
もっとも、多くの男性にとってそれは「気が強いネーチャン」の意で。
 
まあ山本耕史がプロポーズに至るまでに彼女の内面についてそこまで考えたのかは、当然、知らない。
そして私はこの理論に責任を持たないし、勝手なイメージだけで書いている。
 
 
最初の疑問に戻る。
堀北真希は魅力的なのだろうか?
 
 
もちろん答えはイエスだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

文学フリマに

京都で行われた文学フリマに出品しました。

 

以前から親交のあった方から原稿を書いてもらえないかと頼まれたので納めたというだけなのですが。

 

テーマは痛い女。

 

じつは一年ほど前に書きかけた小説があり、それがテーマにピッタリだったのでそれを提出しました。

 

元カレをひきずっているキャリアウーマンの話でした。

 

もちろんフィクションですが、

ベースは私の経験に即してます。

 

自分で書いておいて、ですが

好きなセリフがあって。

 

それは

 

読んだ人にしかわからないのだけと。

 

コーラとドクペのくだりとか。

 

ほほほ。

 

 

書き始めた頃の情熱はとっくに失っていたので差が

 

読み返してみたらそれはそれで面白かったので、なんとか完結させました。

 

最終的に13人に売れたそうですが

読んだ方はどう思ったのでしょう。

 

とてもきになる。

 

 

 

雨宮まみさんの訃報

「この人有名なの?」と隣の席の人に聞かれた。記事を読むと雨宮まみさんの訃報だった。

 

驚いたが、深い悲しみはなかった。

もちろん雨宮まみは通ってきたけど、最近はツイッターも見てなかったし、知らないうちに闘病生活でもしてたのだろうか。

 

自宅での事故、とのことだった。

 

お別れの会に出席したという近しい人達のツイートや、最近のブログを見た。おそらく自死したのだろうと邪推する。

 

 

こじらせ女子という概念を世の中に植えてくれた雨宮さん。

女として、女らしく、女子力、という言葉がのみこめなくて生きづらさを感じていたころ、自分に新しい名前を与えられたようで、すこし救われた。

 

彼女のブログを読み漁った。

死にたくなる夜があるという。手すりを越えるスレスレのところで引き返してまた日常に戻る。繰り返す希死念慮。薬とお酒で無理やり感情をコントロールしていた。

 

彼女の本当の心の傷はわからない。なにがきっかけで痛みに耐えきれなくなったのか知る由もない。

だけど、はたから見たらとても楽しそうで、

ライターとして名声も、実績もあって、本気で笑いあえる友達もいて、かつ美しい40歳がそんなにつらいの?

じゃあこのまま何者でもない40歳を迎えるであろう私は?どんなにつらいの? 

 

 

 

生きづらい毎日から救ってくれた雨宮さんが、その最期をもって再度私に絶望をもたらした。 

 

私にも耐えきれなくなる瞬間が来るんだろうなと思う。お酒でも薬でも誤魔化せない悲しみが来るんだろうな。

とても憂鬱。

親友との夜


親友に会う。
親友とは大阪と東京の遠距離だ。

大学を卒業し、上京。激務総合職に着いた私。

大阪の郊外で歯科助手をする彼女。

今となっては同じ大学を出たこと以外、ほとんど共通点もない。それでも半年ぶりに合えば、あの頃に戻ったようにくだらない会話に花を咲かせる。

彼氏の話や単位の話がセフレの話や職場の話になっても、
共通の友達が減っても、
それでも会えばあの頃に戻れる。

マメに連絡を取るわけでもない。
半年に一度会うだけの大切な存在。

森達也「FAKE」メディアが照らす光とその影

今更感がありますが、やっと森達也監督のFAKEを観てきました。

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ユジク阿佐ヶ谷は初めて。

ポレポレ東中野下高井戸シネマよりずっとこぢんまりしてて可愛らしい映画館ですね。

 

この日の上映は満席。これから観に行く人は少し早めに席を確保したほうがいいですよ。

 

以下感想(ネタバレ含む)

 

この映画を観てない人も「佐村河内守」という男が起こした騒動については知っているはず。

騒動後メディア露出を増やした《ゴーストライター》新垣氏とは対照的に、身を眩ませた彼がどのようにして暮らしているのか。あのゴーストライター騒動とはそもそもなんだったのか。

いくつかの「疑問」に、(佐村河内氏から一心の信頼を受けながらも)客観的な姿勢を崩さず冷静にアプローチし続ける作品。

 

だからこそ、観た人それぞれに答えがある映画だと思います。でもきちんと監督が見つけた「答え」は要所に散りばめられていました。

海外メディアの取材を受けるシーンなどは、かなり騒動そのものの核心に切り込んでました。

 

でもこの映画が伝えたいのはあの騒動や佐村河内氏のパーソナルではなく、「偏向報道メディアリテラシー」という大きな問題。

 

メディアが一箇所を照らす時、その影でどれだけの人が傷ついているのか考えるきっかけになりました。

 

「テレビを作る人に、信念や思いなんてなくて、出てくれた人をどう面白くするかしか考えていない」

 

この言葉は、メディアに携わるものとしてささりました。

 

世の中には面白いけどギリギリいじっちゃダメな人が居て、そういうギリギリ感をプロレスで演じられるプロがテレビを盛り上げている。

でも佐村河内氏はそんな振る舞いはできなかった。新垣氏はそれができた。

 

その違いを、「キチガイ」と「天才」に振り分ける権利はメディアにあるのかな?

 

 ないと思いました。

映画 「怒り」 自分の無力さへ



映画「怒り」を観てきました。
ネタバレを含むので観てない人は読まないで下さい。でも、観てない人は観て下さい絶対。絶対だ。

最初にこの映画のメインビジュアル(キャストがコマ割りでそれぞれ厳しい顔をしている)を見たときは、「暗そうな映画だな、湊かなえか?」という偏見を持った程度でした。

それが、どうしても観たい!と思い直したのは「妻夫木聡綾野剛が恋人役!濡れ場も」というゲスな見出しのネットニュースがきっかけでした。
恋人役を演じるにあたり、出会いのシーンを撮った日から実際に同居したという二人。お互いを本当に愛おしいと思うようになったと。

「ほぅ………イケメン同士の……濡れ場」

ホモが嫌いな女は居ません!という名言がありましたが、そんなに愛し合ってる演技なら観てみたいな、いや絶対観たいな。公開日に観るべきだと思うようになりました。




行ってきました。




そして141分の上映を終えた私の感想。
「あぁあぁあぁ…」
私は膝から崩れ落ち、TOHOシネマの床に寝てヤダヤダヤダーーー!!!と暴れ叫んだ。心の中で。


この映画には、「未解決殺人事件の犯人は誰なのか?」という謎解き要素があり、いちミステリー映画としても一流。

だが、それ以上に!!
心を閉ざした人間が愛を受けて懐柔されていく様子、
一方で愛する人を疑わなければいけない人間の心理描写!!

俳優さんたちの演技にうなるばかり。

広瀬すずってめっちゃいい表情できるのね。
宮崎あおいのことなめてました。
世界のケンワタナベ。
バラエティの時のキャラクター大嫌いだけど、愛しいよ綾野剛
人たらしだけと危うさが見え隠れする演技が至高の森山未來

どこにでもいるピエール瀧


そして妻夫木聡
妻夫木聡!!!
妻夫木聡!!!!!

いつの間に彼はこんなにいい俳優さんになったのでしょうか。
ブッキーは泣きの表情と演技が素晴らしい。
この涙が、どんな感情で溢れているのか、わからない。
そんな涙の理由を、理屈じゃなくて心に訴えてくる。

母親が亡くなるシーン
そして喫茶店から出てくるシーン

どちらも彼は泣く。
こみ上げてくるものを理性的に制しようとした前者と、感情を包み隠さず街中で泣いた後者。

大切なものを失った悲しみは同じだけれど、後者の涙には「怒り」がある。

「怒り」

タイトルにもなっている感情。どんな時に人は怒るのか。

「自分の力じゃどうしようもないことってあんじゃん?」

「わかる気のない人には何を言ってもわからないよ」

「男はいい。だが女はダメだ」

「戦えないよ。私そんなに強くないよ」

それぞれのキャラクターがどこかで諦めを経験している。自分の力じゃどうしようもないこと、生い立ちや疾病、性癖や世間の目。変えられない過去が苦しめる。そのたび自分の無力さを思い知る。

そして「怒り」へ。

長いトンネルのような閉塞感とともに進む物語は、最後までわかりやすく光を差し込んではくれない。
希望が見えないまま、それでももがいて生きていくであろう彼らのことを考えて、エンドロールで動悸がした。


最後の最後、
広瀬すずのあのシーンで物語を閉じたのは、
結局私たちはそうするしかできないということを思い知らせたかったからではないか。

絶対観てください。














明日はうんと遠くへ行こう/角田光代 読んだよ

明日はうんと遠くへ行こう

「主人公があなたに似ている気がする」と先輩に貸してもらった角田光代の「明日はうんと遠くへ行こう」を読んだ。

ろくに話したこともない同級生に大好きな曲を録音したカセットを渡し(しかもオススメの聴き方指南書付き)、「あいつこえーよ」と一蹴されてしまうような主人公、泉。

自分の世界に浸りがち。ロマンチックになりがち。恋心を育てすぎるあまり現実での行動が痛々しくなる。
「めんどくさい」。

もうこの時点で読んでいてツライ。私も余計なことを考えすぎて、いろんな恋をだめにしてきた。自分では哲学的に叙情的に思考しているつもりで、そんなセンスティブな自分が好きでもあって、「めんどくさい」「難しい」と罵るがさつな男なんて私に不釣り合いであるとまで思っていた時期もある。

でも泉は気づく。自分にはなにもない。そのときそのときの恋に溺れ、語彙を尽くして愛を語ったり不満を伝えたりして過ごした年月はなにも残してくれなかったと。
男が去った後の自分は、引っ越しで荷物を運び出した部屋のように、少しの床の傷だけを残してがらんとしている。

「筋肉みたいな、わかりやすい価値が欲しい」。

あーわかる。筋肉のような、誰が見ても一発で「良い」とされる価値が欲しい。女性なら大きな胸でもいいし細い脚でもいい。絶対的な評価を得られるものが自分にはなにもない。

部屋を間に合わせの安い家具や家電で埋めて、気づけば部屋に「私」がどこにもない。心も同じ。

そんな生活は、それでも最中に居る時は輝いているように思えるのに、突如として「なんて無価値なものに時間をかけたんだろう」と虚しくなる。

物語の最後に泉は少しだけ成長している。恋愛がすべてではなくなる。それは歳をとったからだと思う。

私も、この話は特別なものではないと気づく。
誰しもいつかは経験する物語。